銀座千と一の物語- 第16話 心の軌跡 (続き)

                               藤 田 宜 永 (「銀座百点」 7月号.No.692.2012年.発行: 銀座百店会)



八階のギャラリー・ゾーンに下りた.こちらのほうが上階よりも圧倒的に混んでいた.
開催されていた写真展は,ちょと変わったものだった.ある報道写真家集団に所属している写真家たちのスナップ写真が,コンタクトシートとともに展示してあった.日本語ではベタ焼きと言われているコンタクトシートとは,フィルムを丸ごとそのままプリントしたもの.言ってみればコマの一覧表である.
同じ被写体を撮った全てのプリントがいっぺんに見られるのだから,世に出た写真が選ばれた背景が明らかになる.写真家の裏側を推理できる画期的な展示会だった.
昔のことは忘れて夢中でコンタクトシートと作品を見比べた.人物のどの表情が選ばれたのか,どんな手が加えられたのか,写真家の思いを想像しながらゆっくりと見て回った.
そうしているうちに,私は例の女の隣に立っていた.



銀座千と一の物語- 第16話 心の軌跡 (続き)_f0071708_2181929.jpg
            M9+Summilux-M 35mm F1.4 Aspherical








女は五月革命の写真を見ていた.目が合った.私は小さく微笑んだ.「ロイヤルミルクティーが飲めなくて残念でしたね.私も喫茶店に入るつもりでここに来たんです」
「がっかりしましたけど,こんなにすばらしい写真が見られたので儲かった感じがしてます.五月革命のころ,死んだ夫はパリに留学してました」
「私は学生時代,投石の経験があります.大した活動はしてませんでしたけど」
女は,ふわりとしたボプカット風の髪型をしていた.けして派手な顔立ちではないが,すっきりとした輪郭を持っていて,それが髪型にマッチしている.歳格好は私よりも四,五歳下というところだろうか.なんであれ綺麗な女である.
五月革命の写真の前で話したのがきっかけになり,その後は,二人で会場を回ることになった.そして一緒に九階に戻った.
女が展示されているカメラの前で立ち止まった.そして,二眼レフカメラをじっと見つめた.
「このカメラ,懐かしい.父が使ってました.覗くと左右が反対に見えましたよね」
私はうなずいた.
最後に買ったXR-Pも展示してあった.私はちらりと目をやっただけで,その場を離れた.
「お時間がおありでした,お茶でも飲みませんか」
「ええ」 女は,にこやかにうなずいた.
私は自己紹介し,簡単に経歴も教えた.
女の名前は柴崎真紀子と言った.
子供がふたりいるが,目黒区碑文谷のマンションでひとり暮らしをしているという.死んだ夫はフランス文学の教授だったそうだ.
「このビルの一階二階は喫茶店ですよね.入ってみません?若い人が多そうだから,ひとりだと気が引けて」
「ぜひ,入ってみましょう」
注文は一階で行うシステムだった.ロイヤルミルクティーがあったので,私たちはそれを頼んだ.そして,飲み物をトレイに載せ,二階に上がった.窓際の席にふたりで並んで座った.周りでは,若い客がスマホを見たり,パソコンを打ったりしていた.
私たちはぼんやりと銀座四丁目の交差点を眺めていた.
「私がHAPPY CAFEに行こうと思ったのは,窓際の席から外が見えたからです」 私が言った.
「あそこからだったら,スカイツリーが見えるかもしれませんね」
「見えるかな」
「見えますよ.カーテンを開けてもらって,写真を撮らせてもらったらいいのに.次の機会にお願いしてみたら」
私はあいまいに微笑んで,また外に目をやった.
始めて会った人間に,身の上話をする気はなかった.
84年の12月のことだった.当時,八歳だった娘を連れて私は散歩に出かけた.当然,カメラをぶら下げていた.
下町の商店街の人達を撮るのに夢中になっている間に,娘はどこかに行ってしまった.見つけた瞬間,娘が車に撥ねられた.そして,救急車の中で息を引き取った.娘の死は,撮影に夢中になりすぎた私のせいある.
妻はどうしてもそれが許せず,関係が悪くなった.結局,離婚を申し出られた.かなり強く説得したが,妻の拒絶は半端なものではなかった.

                                                                   (明日に続く)


     
藤田宜永: 「愛の領分」で第125回直木賞を受賞.夫人は直木賞作家,小池真理子氏.




≫7月23日より写真展やりまつ馬耳東風
  (タイトル,ギャラリー住所をクリックすると,アクセスなど分かります)
Commented by yuki at 2012-07-09 00:08 x
Neoribatesさん、こんばんは。
 わたしも最初、Neoribatesさんの自叙伝かと・・・。
  
  きのうのショット、いいですね^^。
Commented by thejetmole at 2012-07-09 02:03
次第に、惹き込まれながら、読んでました

「84年の12月のことだった.当時,八歳だった娘を連れて・・・」で、?????
もっと娘さんは若いはずなのに・・・・

見つけた瞬間,娘が車に撥ねられた.そして,救急車の中で息を引き取った
これで、やっとNeoさんの事ではないなと、やっとわかりました
 ^^);
Commented by ramble-leica at 2012-07-09 09:59
ご無沙汰してます。
何時も素晴らしいPhoto,楽しませていただいております。
Commented by Neoribates at 2012-07-09 11:21
yukiさん,
どうも失礼しました.カメラが絡んだ短編だし,藤田さんのこういうものは,あまり目につかないのではないかと,勝手に所載させていただきました.
Commented by Neoribates at 2012-07-09 11:23
thejetmoleさん,
どうもいろいろ皆さんに誤解させてしまいましたね.
藤田さんのこの短編,何か気になりました.銀座百点なんていう小冊子はあまり目にすることはないと思いますが,けっこう楽しめます.
Commented by Neoribates at 2012-07-09 11:24
ramble-leicaさん,
こんにちは.おひさです.
お目汚しのものばかりでいつも恐縮の限りですm(_ _)m
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by Neoribates | 2012-07-08 20:00 | Leica M9 | Comments(6)

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