写真と絵 ...

今週のNHK 「日曜美術館」 のアンコール放送は,画家 諏訪 敦氏の特集 (タイトル: 記憶に辿りつく絵).
見逃していたので,是非,見たいと思っていたプログラムだった.写真と同じ,写実という側面からも.
千葉県のホキ美術館の存在も見直されてきている今日この頃,ホキ美術館にも収蔵されている独自の超写実主義で表現する画家,諏訪 敦.写実主義というと,とかく軽んじて見られるが,決してそんな薄っぺらいものではないということが得心できる番組であった.

三年前に不慮の事故で娘を失った両親からの依頼は,その故人の肖像画を描いてと欲しいというものだった. 部屋には,娘の多くの写真が飾られている.見るからに,納骨をまだできず,死を完全に受け入れられないままの状態であることが分かる.

そして,両親からは 「写真ではだめなんです」 .という言葉が発せられた.そこに真に写真の限界を感じた.
親の依頼骨子は,諏訪の絵によって快活な娘を蘇らせて欲しい,というものだ.
亡き人を描くために彼はわずかな手掛かりを求め,さまざまな取材・手法から彼女の特徴を探っていく.表現者としての作品性と,依頼した両親の娘に対する思いは当初,収斂性を欠いていた.どのように1枚の絵としていくのか,画家の葛藤が始まった.




写真と絵 ..._f0071708_1615697.jpg
     R-D1+Summilux-M 50mm F1.4 Asph.LHSA









半年後,描き直しが何度か行われ,完成した画を携えて両親の住まいに届けた.箱から取りだしたその絵を見た瞬間,「おおっ! 娘だ.帰ってきた!」 と声を詰まらせて,泪を堪えながらも喜びの顔が錯綜する複雑な表情を見せていた.望んでいた快活な笑顔の構図ではなかった.しかし,両親はそこに何かを感じたのだろう.

蘇えらせて欲しいと願う両親と,もう彼岸にたどり着いたということを表したい画家の意志をどう調和させたらよいのかということを悩んだ画家は,NPOの身近な人の死を考える会のメンバーと面談し,「必ずしも両親は,娘をそのまま蘇らせて欲しいとだけ思っているのではない」 という経験をしたものでしか分からないアドバイスを受ける.「そうか,人間は一面的なものではないですものねぇ...」 と,光を見いだした画家は一部描き直しをして完成させたのである.

架空の絵を見ることで,そして,親が見たことのない表情をみたことで,娘の存在が架空であることを親は受容し,新たな段階へ踏み出すことがその言葉の端からはっきりと確認することができた.写真では感じることのできない,娘の変容とその受容,新たなステップへの踏み出しというプロセスを1枚の絵が後押しできた瞬間だった. そう,写真ではだめなんです.やはり写真は底の薄い,第二芸術なんですね.人間の本質を言い表すには,写真という言語では力不足.絵画という言葉がそれに適しているのでしょう.
因みに,彼が舞踏家の大野一雄を1年にわたり取材し,連作を描いていますが,これを見ると,そのことがよ~く分かります.
Commented by minton at 2012-03-01 20:02 x
画家に娘の絵を描いてほしいと依頼した時点で、両親は絵が完成したときを節目にしようと思っていたんでしょう。
身内にはできない引導のようなものをそこに託したように思います。
いっしょに泣いてほしいのでもなく、説得してほしいのでもなく。
Commented by cobag2 at 2012-03-01 21:21
一幅の絵画を眺めている様な感覚に落ち入ってしまいます。

因みに小生「写真は底の薄い・・・」とは思いませんが
確かに写真と絵画との間に存在する根本的な違いを
「時間の経過」なのではと思います。
写真と絵画の描写に掛ける時間の経過が作者の思い入れの差を表すとは
思えないのですが・・・。
とりとめもない愚考を失礼致しました。
Commented by Neoribates at 2012-03-01 23:24
cobag2さん,
写真と絵画の違いはたしかに時間にあります.写真はどうあがいてもその時間の断面しか描き得ないという決定的な欠陥があると考えます.広い意味での記録性がその大部分だろうと思うのです.制作時間の長短の差違ではないと思います.其の結果が,底の薄さに反映するのではないかと.いくらシャッターを押す手に思いを込めても,所詮,時間の断片でしかないと思うのです.
Commented by Neoribates at 2012-03-01 23:26
mintonさん,
「蘇らせて欲しい」という希望はかなり強烈に言葉としても,態度としてもご両親は発していました.其の時点では節目にしようとどこまで考えていたか測りようがないのですが,其の気持ちが全くなかったとは言えないと思います.
Commented by bishamonjuku at 2012-03-01 23:47
この記事を拝見して、録画していた番組を見ました。
職業としての画家の苦労、芸術家としての画家の苦心が見て取れました。
日曜美術館というよりは、NHKスペシャル然とした番組構成でしたね。諏訪敦氏のことをもっと知りたくなりました。
Commented by kotapunch at 2012-03-02 00:07
自分は写真と絵の比較を語る時は、何とかして写真の良いところを見出そうとして書きますが、
ご隠居はいつも絵の味方…って言うか写真を侮蔑的に書きますよね。
何でなんだろう?何か理由がおありなんですか?
知らない人がこのブログ読んだら
「じゃあ写真なんか辞めて絵を描きゃいいじゃん?」
って思うと思うんですが。
Commented by Neoribates at 2012-03-02 00:14
塾長さん,
画家の制作過程とその心情を見る上でも興味あるプログラムでした.諏訪さんの作品が直に見られるといいのですが.
Commented by Neoribates at 2012-03-02 00:40
こたさん,
はい,画が好きですし,写真も好きです.画の味方というわけではないです.まず,「写真なんか止めればいいじゃないか」ですが,基本は,ただおもしろいから写真をやっているだけです.なにも芸術性が見いださせなくても写真を撮り,なんらかの表現をすることの楽しみにやっているということですから,写真を止めることは今のところないと思います.芸術でないならなんのために写真をやっているのか?と作品展で問われたことがありますが,私は芸術のために写真をやっているわけではないのですよ,と答えたら,??という反応をされてました.写真を語る方(プロを含めて)が,あまりにも写真の持つ芸術性について色々な誌面などで,語りすぎるのどうもぴんと来ないのです.写真が過去から引きずってきている宿命を振り払おう,振り払おうとするような芸術らしさを纏わそうとするその行為が滑稽と思えてならないのです.私は写真を侮蔑するなどという気もないです.侮蔑するとすれば,そういう評論家やプロ,セミプロなどです.素直に,撮って楽しめばいいのです.後付けの論理構築をして写真に権威を与えようとする,そいう行為が嫌いなだけです.
反論ありがとうございました.
Commented by rogan-since2005 at 2012-03-02 01:00
こんばんは。

僕はもともと絵を描くのが好きでして、昔は夜な夜な描いていました。ところがどうにも時間が取れなくなって、写真に入ったところがあります。絵ほどには時間がかかりませんからね。絵はどんどんイメージを膨らんでいくのに対して、写真はあくまでも記録的な要素が強いように思います。もっとも、どちらがどうというのではありませんけどね。ただ、絵のときもそうですし、写真を撮る今もそうですが、あまり深く考えずに楽しんでるだけです。我々アマチュアにとってもはどちらも趣味ですからね。ならば楽しいのが一番といった感じです。
Commented by Neoribates at 2012-03-02 09:50
roganさん,
おはようございます.
私も小さい頃から画を描いたりして,若い頃までときどきやってました.たしかに時間が取れなくなっていったということもありますが,私の場合は,カメラへの興味から写真をとりだしたのかもしれません.仰るように,「絵は描いているうちにどんどんイメージが膨らんでいく」ですね.これが楽しいし,一枚の絵の中に想念がぶち込まれていくのだろうと思います.写真は上にも書きましたが,どう想念を持とうとも時間の断片しか描ききれない.ここに優劣ではなく,その特性上のハンデが出てしまうと思います.趣味であってもここを意識せずに,撮っていてはいけないと愚考するのです.まあ,いずれにしても楽しく撮れればそれでいいのですけどね.ありがとうございます.
Commented by yuki at 2012-03-02 11:37 x
Neoribatesさん、おはようございます。
 わたしは、当 日曜美術館を見ていないのですが、
 
  「写真ではだめなんです」

  ずっしりと胸に突き刺さりました。
 
Commented by Neoribates at 2012-03-02 11:54 x
yukiさん,
おはようございます.
ご覧になっていませんでしたか.残念です.
あの状況に置かれたご両親の心からの言葉だと思いました.
やはり写真ではだめなんです.部屋にたくさんの写真があるにもかかわらず,写真では心の奥底に共鳴しないんですね.そこが「写真の底の薄さ」を露呈しているのだろうと感じたわけです.
Commented by LEFTEYEZ_hiroki at 2012-03-02 12:33 x
既に相方がリンクいただいていますが、初コメントです。
出来てしばらく経ったころ、ホキ美術館に行きました。
作家情報も無いまま、ただただ展示作品に圧倒されました。
「絵は何でもありじゃん」などと切り捨てず、(趣味であれ仕事であれ)写真を真面目にやっている方にこそ、観て頂きたいと思ったものです。感じることは、夫々異なるとは思いますが。
それからというもの、作家だの機材だのには相変わらず疎いですが、写真も絵もさらに好きになりました。
趣旨ズレなコメント、失礼しました。
あ、建築としても面白いので、そちら方面の方にもオススメですよ。
Commented by Neoribates at 2012-03-02 22:05
hirokiさん,
ご来訪ありがとうございます.
ホキ美術館行かれましたか.あそは建物自体がユニークですよね.なんか折れちゃいそうで ヽ(´~`;
一度行ってみたいとは思っているのですが,まだ行けずじまいです.写真やっている人はたしかに一度見ておいた方がいいかもですね.写実の神髄が分かる感じです.写真にフィードバックしてくるものもあるでしょうねぇ.
Commented by mnine at 2012-03-03 20:34
深いお話しです。涙腺にきてしまいます。
私も写真を撮るのが好きですが、心をこめてシャッターを押そうと思います。
Commented by sacra-fragola at 2012-03-03 20:35
こんばんは。
なかなか底なし沼の様なお話ですね。
実は先日ホキ美術館に行って来たばかりなので、とても身近な話題に感じました。
私自身、写実の絵を見ながら・・・ん~、これはどんどん突き詰めると
結局は写真に近づくだけではないのか?と・・・悩んでしまいました。
私自身、実は芸術学士の称号を持っているのですが
そんな学術的な見地よりも、純粋に絵としてどうなのか?ということを悩みました。
写実が進めば進むほど、写真と見紛うばかりとなり不思議な気分になるのです。
ちょっとぐらい、明らかに絵だな!という部分があった方が上手いな~などと思えたり・・・。
そんなことを終始考えさせられた美術館でしたね。
そもそもここの美術館を訪れたのは、第一に建築を見に行ったのですが・・・
そちらは残念ながら、建築自身が主役という建築計画に
思えて少々残念な気持ちで帰ってまいりました。

絵と写真・・・どちらが上位に位置するものでもないと思いますが・・・?難しいテーマですね。
Commented by shatome at 2012-03-03 22:04
こんばんは、お久しぶりです。
諏訪敦という名前、ご隠居のブログで初めて知りました。ウェブで検索してみただけなのですが、作品はスゴイの一言です。もっと知りたくなりました。
まだまた知らない世界が多いですが、こうした新しい世界に興味が惹かれます。
ありがとうございました。
Commented at 2012-03-04 08:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Neoribates at 2012-03-04 11:08
sacra-fragolaさん,
おはようございます.
たしかにこの手の話はエンドレスになるでしょうねo(´^`)o ウー
写真に代えて,絵を求めたこの場合のご両親の深いところにある理由については述べられていなかったので,なかなか分からなかったのですが,同じ絵でも恐らくブラックやマチスが描いたものではだめだったでしょう.そして写実の究極としての写真と紙一枚の差しかないものでもおそらくはだめだったのだと思います.いや,それでもよかったのかな?一瞬ではなく,しかも現実にはない期待すべき姿が出現するからこそ.なんて思います.優劣という意味では(敢えて,敢えて付ければ...),私にとっては絵画を選ばざるを得ないかな(微妙な理由のところはちょっと表現できませんが).
ホキ美術館の外観はヘェーと思えますが,内部は人にとって使いやすい造りではないのですね.なるほど.
Commented by Neoribates at 2012-03-04 11:14
shatomeさん,
おはようございます.
記事中に出てきたホキ美術館に行けることができれば,ぜひ出かけてみてください(と言う,本人もまだ行ってないのですが.ホキ美術館を紹介してTV番組を見て行った気分になっています).昔の写実主義絵画と違うものが見られると思います.
Commented by Neoribates at 2012-03-04 11:24
鍵コメさん,
仰るようにそれぞれの特性のあることは十分承知しているつもりですし,写真の存在理由の高いことも,ももちろん仰る例などでもその一つであるということも同意いたします.ただ,なんというか,可塑性と経時性を込めることができるのが絵画にとって有利な点だろうと考えます.その意味で,敢えて使うなら,勝っているという言葉を与えることができるのだろうと.
あっ,またやっちゃいましたね.そのままでも,ある意味(期待を込めて),いいのでしょうけど,ご指摘のとおりです.ありがとうございます.
Commented by Neoribates at 2012-03-04 11:30
mnineさん,
不慮の事故で亡くされた親にとっては3年経っても受け入れることができないというのはそうなのでしょうねぇ.私も,思い出,あるいはそれ以上のものとして二者択一だとしたら,残したいと思うのは絵画という形で,できるなら残したいと思います.写真は説明しないと,その思いがが伝わってこないと思うのですよねぇ...
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by Neoribates | 2012-03-01 16:21 | R-D1 | Comments(22)

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